今回は私、はなぶさのバイク歴(後編)でございます。
GPX400Rで見舞われた事故とは
また、朝早く多摩地区にてバスも通るセンターラインが黄色の道路を
直進していたところ、対向車線の車がバックで私の進行車線を塞ぐように急に車庫入れを行った
時間がゆっくり流れ、その車の側面に”ガッシャーン”バイクはもちろんグチャグチャだが
体も無事ではなかった 死にかけたとは正にこういった事かもしれない
YAMAHA FZR400-2(1988年式)
約1年のブランクの後、懲りもせずバイク復活!
散々、親や周りを心配させてまだ乗るのか!
すいません
さてFZR400だが世の中まだまだレーサーレプリカブームで
各メーカー高スペックマシンを販売ししのぎを削っていてYAMAHAもFZR400
を販売していました。購入したのはマイナーチェンジしたばかりの2代目のFZR400です。
1代目と同様にアルミデルタボックスフレーム、前傾エンジンにダウンドラフトキャブレター
といった基本構造に大きな変更はないがEXUP(排気デバイス)やフレッシュエアインテークなど当時としてはかなり先進的な機能が追加された。
排気デバイスの効果により全回転領域でトルクが増していたという事だった。
「・・という事だった」というのは1代目FZR400と乗り比べていないので
雑誌の記事そのまま引用すればということです。
自分としては4000~6000PPM辺りの中間トルクが特に太い様に感じた。
具体的にば”高速道路で6速で流して走っているところから追い抜きをかける時
シフトダウンせずにアクセルだけで必要な加速が得られた”
(この感想はGPZ400Rと比較してという事になります)
※この具体例ですがNINJA1000と比較してはもちろんいけません。
良い点ばかりでもない、悪かった点もあります。
その1.一見、燃料タンクに見えるものは樹脂製のカバーなので
マグネット固定式のタンクバックが使えず買い直しをしました!
(これは軽量化と利便性のトレードオフなので仕方がないか?)
その2.燃料タンクとエアクリーナーBOXの配置により
シートとハンドルの距離がちょっと遠い為、街乗りでの小回りがしづらかった。
(逆に高速走行に伏せるには絶好のポジションであった訳だが・・・)
しかし大きな不満点もなく、基本的には優等生なバイクでしたね
あの頃の私としては以外と長く乗ったほうかも?2年くらいお付き合いした。
このバイクでキャンプ場やライダースハウスを利用して北海道をほぼ一周!
釧路港にフェリーで到着!
えりも岬近くのキャンプ場では隣にテントを張った家族に誘われBBQ!
ホワイトアウトで5m先が見えない納沙布岬!
最東端のラーメン屋で馬鹿ラーメンを食べ知床峠を越え網走へ
網走湖の湖面に映った夕焼けが印象的!
サロマ湖をぬけてオホーツク海の海岸線をガンガン北上
最北端の宗谷岬へ
日本海側の海岸線を南下し友人の住む江別市へ
江別市を拠点に札幌、小樽、函館にスポットでおでかけ
小樽ではお決まりの”海猫屋”で珈琲を飲んだ!
(※海猫屋さんは2016年に惜しまれつつ閉店したそうです。)
当時まだ若く、海岸線をとにかく走り、ゆっくりと観光をしなかった。
「みっちり計画していけばもっと濃密な旅が出来たのにな」と
今なら思えるのである。
YAMAHA FZ400R
逆輸入車に魅力を感じて限定解除を考えていた。
お店の人が「限定解除を考えているなら バイクを予約ということにして
受かるまで代車を貸してあげるので、今のFZR400を先に下取りするョ」
というあまい言葉に騙された!
今考えれば、お店も「早く相場が高いうちに買い取り」したかったのね!
かくして限定解除チャレンジを始めたわけ
ダガシカーシ
府中で限定解除を落ちただけでなく帰宅途中にキップも切られ すっかり意気消沈↓
「限定解除はもういいや!」とへっぽこぶり!
しかし、FZR400は既に下取り済みでどうしょうもない
お店に代車の返却がてらキャンセルとFZRの買い取りの話をしにいったんです。
「もうバイク乗らないんですか?」とお店のひと
「そんなことはないけど・・・」と私
「じゃあ中古か何かうちで買ってくれるのであれば下取りはそのまま活かせますョ」とお店のひと
そこで、お店の内を物色していると目に止まった1台のバイク
レプリカカラーではなく赤黒ストロボカラーのマシン
そしてFZR400からFZ400Rへと先代のマシンへ乗り換える事になったのである。
兵庫県しそう市のバイクショップ、ツジモトモータースさんより転載
性能はFZRと比べてはいけない!
FZRの方が高速安定性も優れているし、路面追従性も抜群だし、
車体剛性がありコーナーリング安定性も優れている。
でもいわゆるレーサーらしさという意味でいえばFZが「らしい」のである。
上手く表現できないが、「レーサーらしさ」とは”市販品として洗練されていないマシン”という感じかな!
50を越えたやんちゃなおやぢとしてはオモチャとしてもう一台所有出来るのなら
FZRではなく渋いFZ400Rをチョイスするかもしれない!
FZ400Rは何の不満も無かったが1年ほどでグース350へ(浮気性ネ!)
HONDA XLR250(初期型)
FZRの時期から並行してオフロードも所有していた
少し河原で遊ぶ程度でも「オフも乗ってみたかった」という理由である
こちらは出入りのバイク屋で中古で安く手に入った
私のXLR250Rは黒い車体に赤いエンジンがやけにかっこいい
後で判ったのだが、あの機体は初期型の大変貴重なものだったらしい!
純正なのかカスタムキャブだったのか「加速ポンプ」なるものが付いていて
アクセルの応答性がすごくいい!都心でのGo&Stopの多い通学が楽しかった。
SUZUKI グース350
当時、ジレラ サトルノというバイクが存在していた
今でも「ジレラ サトルノ」と検索すれば写真がごろごろ見る事が出来る
シングルといえば”懐古主義のトコトコ走るおじさんバイク”のイメージしかなかった時代に
そのジレラの存在は革新的だと思った!スポーツバイクなのである
絶対的な馬力はないがヒラヒラ峠を走る 街で乗ってもおしゃれで大人げなバイク!
モーターショーのSUZUKIブースでグースを見て「ビビッ」ときた!
その頃、私も社会人であり、落ちつかなくてはいけない年齢
というより「モーターサイクリスト」など読み、一人で大人ぶっていたのかもしれない。
かくして、FZ400Rを下取りにしてグース350へ乗り換え!
グースは”ジレラをリスペクトしながら当時の技術を投入したマシンだった
DR350のエンジンをオンロード用に見直し
オイルクラー標準装備
足回りもフロントが倒立フォークでブレーキももちろんフローティングディスク
ハンドルももちろんセパハンでシートはほとんどシングルシート
このバイクは高速道路を使用しての長距離ツーリングには向かないが
近場のツーリングは楽しい!
DR350のエンジンを市販オンロード向けに調整しているとはいえ基本はレーサーのエンジンであり低速トルクはそれなりだったと記憶しています。
回してナンボのエンジン!
回転数が落ちてしまうと極端にトルクが落ちてしまう。だからコーナーで回転数を落としてしまうと立ち上がりで車体が起きてこない。ギヤの選択がとても大事なバイクです。
前出のFZR400の様にルーズに乗ってはいけないのである!
なんだかんだで3年近くお付き合い!
Kawasaki KMX200
この時期、並行して乗っていたオフロードがKMX200です。
XLR250にはなんの問題もなかったが当時、やんちゃな私!
2stの「バイーン」ってオフロードも体験してみたかったのよ!
KDX200が発売されてKMX200が在庫処分で超~格安だったのも購入のきっかけになった。
フェンダーレスにしてシートも緑(注釈↓)にして全体がライムグリーン仕様!
(当時、青のKMXには緑のシートだったのでそれを換装)
かなり自己満足していたんだが・・・私は何か憑いているのだろうか?
信号無視の車に横から追突され1~2カ月でオシャカに・・・体は無事!
そこで真打登場である。
Kawasaki KDX200SR
私のへっぽこぶりからすればKMXでもパワーを持て余す位なのでKMXで十分だったんです
しかし、前述した様にオシャカになってしまった。
バイク屋のおやじに「こうなったらKDXでしょ」と言われKDX200SRに!
ブログの大先輩、まるにっ記さんより転載
KDXは”倒立フロントフォーク”、”デュアルラジエーター”など最新レーサーの
装備に加えリヤのサスペンションストロークも長くなり戦闘力は大幅UP!
足付き性は若干悪くなったがたいした問題ではなかった。
戦闘力UP!と前述したが私はへっぽこなので使いこなせるわけはない!
それよりも操安性が格別によくなって長距離を走っても疲れないことに恩恵をうけた!
このKDXは私としては長く乗った!
九州に1カ月ほど出張のおり、バイクを持ち込んで
土日の度にあっちこっち走って、一応九州は一回りした!
佐賀の窯元を巡ったり、大宰府天満宮へお参りしたり
雲仙普賢岳を対岸から眺め、天草の絶景の道を走り
阿蘇も走り抜け
鹿児島の開聞岳、池田湖を見て回り
テントとシュラフの旅なので
「別府や湯布院でゆっくり」みたいなおしゃれな旅では
なかったがそれなりに楽しんだ!
なんだかんだで4年位はお付き合いしたかな。
結婚、子供が生まれるなどして
このバイクを最後にギヤ付きバイクを降りることになりました。
それから約20余年、再び復活するまで長ーい休眠状態となるのである。
(復活編に続く)
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